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旺盛に攻める薩軍先鋒
苦戦する乃木隊



熊本城(鎮台)ヲ救援セヨ・・・・!
乃木隊の南下 明治10年2月15日。鹿児島を発した薩軍は21日には政府軍の拠点・熊本城(鎮台)目前・川尻に集結。翌日には戦端が開かれ、熊本城を包囲する。
 政府は薩軍が鹿児島を発する前から、有線電信による情報収集で軍の編成を進め、20日には第一陣の第一・第二旅団の合計約5600の兵を神戸から船で送り、22日には博多へ上陸している。

 小倉の連隊営所は、増援を当てにして熊本城(鎮台)をこのままにしておく事はできない。
 そこで乃木希典少佐(連隊長心得)率いる第14連隊を、急ぎ熊本派遣を決めた。
 14日。乃木隊は熊本での作戦会議を終えて小倉への帰路にについていた。18日に福岡まで戻ったところで熊本入城の命を受け、再び南下した。
乃木希典少佐
乃木希典少佐

 乃木少佐は自ら第3大隊を率いて先行。さらに大隊を3隊にわけ、第1・第2中隊は南関から高瀬へ向かうルートを進み、第3中隊は山鹿に進ませた。
 2月22日の昼ごろ乃木少佐率いる隊は、高瀬(現・玉名市)までたどり着いたが、遙か遠方にあがる白煙を目撃。すでに薩軍が熊本城を包囲してる証と知り、入城はもはや無理と悟った。
 それでも命に忠実な乃木は兵を戻すことはしなかった。「せめて遊撃で後方攪乱を・・・!」と思っていたのだろうか。
 兵は昼夜をかけて急いで進軍したため疲労しきっている。やむなく元気な兵約60名を率いて植木(現・植木町)へ先に向かう事となった。途中“植木に薩軍の姿なし”との斥候情報を得て、山鹿街道を進んできた第3中隊と合流。約200の兵で、夕方から植木を抜けた南西に戦線を張って薩軍の動きに備えた。

植木の戦い(2月22夜) 早朝から熊本城を包囲していた薩軍は、偵察から「植木に政府軍!」の報を受け、午後から5番大隊・2番小隊(隊長・村田三助)、4番大隊・9番小隊(隊長・伊東直二)、5番小隊(隊長・永山休二)の3個小隊を向かわせている。

 薩軍3個小隊は、植木の市街に進出すると山鹿・木葉の2方向から政府に挟み撃ちに遭う恐れがあるので、熊本寄りの向坂に布陣した。

 午後7時頃、乃木隊の斥候が向坂に近づき、薩軍・村田三助隊がそれに発砲。両軍は激突した!
 斥候を追撃してくる村田隊に乃木隊は銃撃で応戦。闇の中の戦いは激しい銃撃戦となったが、弾の尽きた村田隊は一旦後退。そこへ伊東直二隊が追いついて、再び攻勢に出た。銃弾の乏しい薩軍2隊は抜刀戦に切り替えて乃木隊へ斬り込む。

 薩軍の兵は総勢約400。乃木隊の左右に展開して圧迫。応戦した乃木隊は戦線をささえられず後退。さらに薩軍の一部は抜刀塚から後方に回り込み攻撃。

 乃木少佐は吉松秀枝少佐と協議の上、後方の千本桜へ集結を決め、連隊軍旗旗手の河原林雄太少尉に軍旗を持たせ10名の兵を護衛に付けて先に徹退を指示。
 乃木隊は混乱する中で退却し始めたが。薩軍もここで追わずに撤退してしまった。

 薩軍各隊も早朝から熊本城包囲戦からそのまま、熊本−植木間約8キロを急ぎ移動しての戦闘である。兵の疲労はピークに達し武器弾薬も尽きていた。
 陸での兵員移動はまだ人力しかない時代。いくら勇猛な薩摩士族といえども丸一日動きまくれば、気力・体力ともにここまでが限界だったと思われる。

 千本桜へ撤退した乃木隊は集結したが、旗手・河原林少尉は姿を見せなかった。戻らぬ河原林少尉と軍旗に苛立つ乃木少佐は、敵軍がいる植木方向へ単身駆け出そうとあせったが、村松曹長・櫟木曹長が泣いてすがって押しとどめたという。
2月22日夜 植木の戦い概図
2月22日夜・植木の戦い概図
消えた軍旗
 連隊軍旗はどうなったか?旗手の河原林雄太少尉は戦死し薩軍村田三助隊の手に渡ったのは事実だが、その経過は二説ある。

 薩軍伊東隊・岩切正九郎が河原林少尉を斬り、軍夫に預けて村田に渡った説。

 薩軍の響導(案内役)として同行していた熊本協同隊・高田露が23日に斥候として植木に入ったところ乃木隊の本営らしき屋敷で発見したのを村田に渡したという。

 真偽のほどは不明。

木葉の戦い(2月23日) 熊本の薩軍本営はさらに6個小隊を増援に送った。これで植木の薩軍兵力は約1800になる。
 23日早朝、薩軍は進軍を開始。石原・神宮司・嶺崎の3小隊は植木から山鹿へ向かい、国分・平野・園田の3小隊は植木の3隊と合流し木葉へ向かった。

 乃木隊の戦力は、昨日からの第3大隊(昨夜合流)を中核として、追いついた第1大隊・宇川大尉の一個分隊と津森大尉の隊などを合わせても、わずか約700名。

 それでも早朝から薩軍北上阻止のため、木葉山の東に戦線を構築。乃木少佐は宇川大尉・渡辺中尉に兵を預け植木を偵察させた。やがて偵察隊は植木の西で薩軍前衛と遭遇。交戦しながら木葉まで後退して、8時半ごろ乃木隊主力が、南北に展開しながら迫る薩軍を射撃して本格的な戦闘が始まった。

 山鹿方面から木葉へ進軍する薩軍3小隊はこの銃声を聞いて(斥候の情報もあったのだろう)、木葉へ急行する(といっても木葉まで約8キロあまりの山道である)。

 午後1時には木葉山北まで進出し、乃木隊を攻撃。これで乃木隊は自軍の倍の敵兵を相手に戦うことになった。

 薩軍の攻撃はますます激しくなり、吉松秀枝少佐率いる隊は苦戦を強いられ、連隊本営へ応援を再三要請。
2月23日・木葉の戦い概図

  最後の返答には乃木少佐自身がやってきて、「応援の余力がないので、私がここにとどまって指揮する!」と、苦しい実状を告げた。吉松少佐は乃木の心情を察し、
「全軍を指揮する連隊長が、ここに長く留まってはいけない・・・・」と乃木を自分の馬に乗せて本営に返した。吉松少佐はその後の戦闘で重傷を負い死亡している。

 夕方になり、乃木少佐は挽回は無理とみて全軍を高瀬方面へ撤退命令を出す、その最中山鹿から来た薩軍の1小隊が、木葉山を迂回して稲佐村へ回り込み、乃木隊側面を奇襲。予期せぬ攻撃に乃少佐は乱戦の中で馬を撃たれて落馬。大橋伍長と摺沢少尉試補が身を挺して庇って難を逃れて敗走した(乃木を庇った2人は戦死)。

 薩軍は植木・木葉の戦いに勝利した。さらに乃木隊を追って南関まで北上して制圧すべしとの意見がでたが、本営から「植木へ後退」の命令が出たと聞き北上せず、木葉山の南に防衛戦を張った。この伝令はのちに誤報であると言われている。(*1) 

 連敗の乃木隊にとっては幸運だったが、もし薩軍が北上していれば、政府軍に対して早くから対応でき、戦況も変わったかもしれない。

 薩軍各隊は北上命令はあっても、具体的な戦略・命令がなかった為、決定的勝機を逃す事になってしまった。これを薩摩士族独特の“気概だけで計画性がない”とかたづけてしまうのはたやすい。

 しかし維新の戦いを経験した歴戦の元陸軍将校が薩軍幹部にそろっていて、そんな漠然とした命令を出すとはチョット考えずらい。
 政府の徴発に冷静さを失っての漠然とした出兵ゆえか? 桐野・篠原ら維新の戦いを経験した幹部と、実戦を知らない現場部下たち(現場は20〜30代前半が中心)とのギャップなのか? 戦争は本意でない西郷と幹部の心痛からでた「積極的戦意の放棄?」・・・・謎は深まる。

 薩軍はこの後政府軍博多南下の報を受け、熊本城包囲を一部の隊に任せ、23〜25日までに、主力各隊は山鹿・植木・木留など熊本北部一帯へ進軍。政府軍と全面対決することになる。


(*1):西郷より「戦場を広げると農作物を荒らし民家を焼き、人民の苦しみとなる・・・・・」との伝令
   があり、追撃が中止されるとの説もある。





 豊後街道(清正公道)の難所・二重峠は、阿蘇外輪山を登りつづら坂となって阿蘇谷へ下っていく。明治10年3月。当時の阿蘇地方は役人の不正に怒った農民一揆が起き、薩軍は一揆軍も取り込んで二重峠に砦を築くなど、勢力を広げていてた。
 大分に上陸した政府軍警視隊約600は、阿蘇経由で熊本進出をはかっていた。
 明治維新の会津戦争で“鬼官兵衛”と官軍に恐れられた元会津藩家老・佐川官兵衛は、警視隊先遣約150人を率いて阿蘇南郷谷へ入って攻撃の合図を待った。>
 官兵衛は早期攻撃を進言したが受け入れられず、命令が下されたときにはすでに時を逸し、7時間の激戦の末官兵衛は黒川で戦死。二重峠の砦攻撃隊も敗れた。
 二重峠は今も加藤清正が敷設した当時の石畳が残り、峠のピークは阿蘇五岳の眺めもいい場所だが、峠は非常に険しい。戦闘は両軍とも相当苦しいものであったろう。
二重峠から阿蘇五岳を望む。
二重峠の位置

西南戦争ツーリングレポート
4/15(晴れ)「さぁ! 西南戦争の戦跡を巡るぞ!」と、夕方の神戸は六甲アイランドを出航した大分行きダイヤモンドフェリーは「satouno&うひたつ氏」を乗せて一路大分をめざします。
GW前の平日なのだが、比較的お客は乗っているんですね。2等も各部屋ソコソコ乗っている。USJ効果の一端かな? でも団体客がいなくて助かった。団体はマナーが悪いのでホント困る。特におっさん・おばはんの団体は品がない。分別盛りの年代なのにねぇ(-_-;)
ねぐらを確保していると、小さな子供を4人連れたお母さんが、 「ココ空いていますよねっ!!」ってキツイ目で睨んで聞いて来たのは怖かったぁ。・・・・そのお母さん、人数の倍ほどスペースを占拠してた(^_^)。元々空いてんだから優しく聞けばいいのに。どうにもゆとりのない人のようだ。
どんな状況でも旅の間ぐらいはゆとりを持っていてほしいもの。 自分の子供もみてんだよ・・・。(つづく)
これから出発!